神の如きモーツァルトと秀才サリエリの間の超えられない壁 映画「アマデウス」

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あんたも同じだよ この世の凡庸なる者の一人
私は その頂上に立つ 凡庸なる者の守り神だ

最初見た時は中学生位だったかしら。ビデオかテレビの洋画放映かで観たのだけど、当時はとにかく漠然とした嫌悪感を覚えた作品のアマデウス

当時、クラッシック界におけるモーツァルトの位置付けは「古典音楽の天才」「史上最高の神童」などだったのだけど、この映画によって付け加えられたのは「エキセントリックな天才」。
それだけに当時は反発も大きかったと記憶している。あの高笑いはインパクトあった!


神に愛されたと評される音楽的才能とは対照的な、堕落したモーツァルトの日常生活。それに対し、音楽に自分の生活の全てを捧げたにも関らず、神に愛される事はなかったサリエリ。

その憎しみはモーツァルトに才能を与えた神へと向かう。サリエリが十字架を火にくべるシーンは絶望そのもの。
そこまで追い込まれるのならモーツァルトの音楽を否定すればいいものを、それでもモーツァルトの音楽を、至上の音楽と「理解」してしまう。

憎きモーツァルトの音楽に一番近いところにいて、もっとも理解していたのがサリエリ自身であった事がサリエリの苦悩をより一層深めてしまう結果に。


この作品はとにかく重いのよね・・・。凡人としては見終わった後にどうしてもサリエリに感情移入し過ぎてしまって鬱になるわ。

もちろん、モーツァルトも苦悩して、挫折をして、と描かれているけれど、サリエリからしてみたらそれがまた歯がゆくて仕方ない。悩むレベルが違いすぎるんだもの。

でも、自分の才能を信じてもいる(信じたい)から、「自分だったらこうするのに!」と悔しくてたまらない。

嫉妬とか、そういう感情は近くにいる人に向きやすくて、遠い人には憧れるだけで済む場合が多い。サリエリはモーツァルトに近いところにいた(物理的にも才能的にも)のが不遇だったとしか言えないわ。


小さい頃って妙な万能感にあふれていて、大きくなったらなんでもできる、何にでもなれる、自分は天才だと思っていた時期があると思うけど、中学生位から「あれ?」と思い、高校生くらいから「もしかして?」と思い、大学生位だと「そんなはずはない」となる。そして、天才に憧れはじめる。

努力を続けることが天才だと言った人がいたけど、努力を続ける「天賦の才能」はあっても、残念なことに努力をし続けていれば誰もが天才になれるというわけではないわ。

天才・秀才・凡人 残念なことにピラミッド。だからこそ、観ている私たちはサリエリの嫉妬を突きつけられて沈黙するしかなくなってしまう。

今でこそ、モーツァルトという偉大なる作曲家は破天荒であったということは随分知られることになったけど、その一翼を担った本作品、心に余裕がある時の鑑賞をオススメよ。


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